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第3代サンダーランド伯チャールズ・スペンサー(Charles Spencer, 3rd Earl of Sunderland, KG, PC, 1675年4月23日 - 1722年4月19日)は、イギリスの貴族、政治家。第2代サンダーランド伯ロバート・スペンサーとブリストル伯ジョージ・ディグビーの娘アン・ディグビーの次男。マールバラ公兼サンダーランド伯チャールズ・スペンサーの父。 == 生涯 == 1695年にデヴォンシャーのティヴァートンで立候補して下院議員に選出、同年にニューカッスル=アポン=タイン公ヘンリー・キャヴェンディッシュの娘アラベラと結婚、1698年にアラベラに先立たれると1700年にマールバラ公ジョン・チャーチルとサラ・ジェニングス夫妻の娘アンと再婚、1702年に亡くなった父の爵位を継承した。マールバラ公夫妻はアン女王と深い信頼関係で結ばれていたためサンダーランドも重要なポストを任され、1705年に神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の即位に伴うウィーンへの特使に任命、翌1706年にイングランドとスコットランド合同の交渉委員の1人に選ばれ合同条約を締結、同年に南部担当国務大臣に任命されスペイン継承戦争でマールバラ公を支え、ホイッグ党の中心人物になりジャントーの一員となった。 しかし、急進的で共和主義者だったことからホイッグ党嫌いのアンからは反感を抱かれ、1710年に和平を唱える野党のトーリー党のロバート・ハーレー・ヘンリー・シンジョンらがアンの信任を得るようになると6月に更迭された。アンからは代償として年金提供を持ちかけられたが、「国家奉仕の栄誉を与えられずとも国を食い潰したりしない」と言って拒絶した。4月にサラがアンと絶交、8月に第一大蔵卿のゴドルフィン伯シドニー・ゴドルフィンが更迭されたため、サンダーランドの更迭はトーリー党政権誕生の布石であった。10月の総選挙で勝利したトーリー党が与党となり、ホイッグ党が野党に転落してからはトーリー党の批判に立っていた〔友清、P52 - P53、P147、P188 - P192、P276 - P289。〕。 1714年にアンが亡くなり、又従兄のハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒがイギリス王ジョージ1世に即位して、ハーレー・シンジョンらトーリー党が没落してホイッグ党が復帰すると1717年までアイルランド総督を務め、1715年から1716年まで王璽尚書、1717年から1718年に北部担当国務大臣、1717年から1719年まで枢密院議長、1718年から1721年まで第一大蔵卿に任命されるなどホイッグ党政権で重用され、ジェームズ・スタンホープと共に政府の中心となった。 しかし、元閣僚のロバート・ウォルポールとチャールズ・タウンゼンドが野党活動を展開すると政権が揺らぎ1720年に2人を復帰させたが、同年の南海泡沫事件で議会から責任を追及され、翌1721年にスタンホープが急死して第一大蔵卿を辞任、ウォルポールが後任となった。辞任後も政界に影響力があったが1722年に急死、ウォルポールはジョージ1世の信任の元長期政権を確立していった〔今井、P277 - P291。〕。1716年にアンが死去した翌1717年にサー・ベンジャミン・ティッチボーンの娘ジュディスと再婚したが、彼女はサンダーランド亡き後にロバート・サットンと再婚した。 長男のロバートがサンダーランド伯位を継いだが、1729年に亡くなると次男のチャールズが継承した。チャールズは1733年に母方の実家であるチャーチル家からマールバラ公位も継承、以後スペンサー家は公爵家として続いていった。また、末子ジョンの息子で孫のジョンは1765年にスペンサー伯爵を創設した。公爵家の子孫にはイギリス首相を務めたウィンストン・チャーチル、伯爵家の子孫には元イギリス皇太子妃のダイアナ・スペンサーがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チャールズ・スペンサー (第3代サンダーランド伯)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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